∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

「先生、あのね」的なスバラジふつおたの魅力

前回のスバラジ。最近はテレビを見なくなり
もっぱらラジオで日々過ごしているというしぶやん。
テレビを見ていると中の構造がわかるから
つい裏を思ってしまうらしく、確かにしぶやんならば
声だけで相手に想像させるラジオの方が
自分主体で楽しめて気が楽かもしれないと
少なからず性格知ってるファンとしては理解できてしまう。

そんなしぶやんが自分のラジオであるスバラジを
とても誇らしげに思っていることが喜ばしい。
オサレじゃない方の局で
自由にやらせて頂いているおかげだと感謝しているが
西に住まう私にはイマイチピンとこないのだが
ナック5は西で言うところのFM802じゃなくて
FM85.1の方みたいな感じなのかしら?

しかもこの回のふつおたがまたこの流れから秀逸で
中学生のリスナーが学校で走った1km走で最下位になり
まるで24時間テレビのマラソンのように
拍手喝采で迎えられて恥ずかしかった、という
ピュアすぎて眩しいお便りに鼻を鳴らして喜ぶしぶやん。

これですよ、これぞスバラジです、
普通なら読まれないような投稿を
スバラジは読むんです
」と、
多少失礼だが、だからこそとても嬉しそう。

次も細いタケノコを3時間かけて綺麗に46本剥いて
自分の知らなかった才能を見つけて嬉しい という方のお便りに、
お腹が痛くなるほど笑って喜ぶしぶやん。

これが流れを読んで組み立てたのでもなく
スタッフと打ち合わせて選んだのでもないからすごい。
読んでいるしぶやんも驚きがあって楽しめるから
ここにスバラジの面白さの真髄があるのだと思う。

リスナーも、スタッフも
みんながしぶやんを楽しませたいと
間違いなく思っている気がするのよね。
もちろんしぶやん本人は俺を楽しませろとは言わないし
むしろリスナーのことを思ってくれているんだけど
しぶやんが楽しいのが聞いている方も嬉しいから
そこにみんなが集中している気がする。

自分が目立ちたいと思うだけの投稿者がいれば
このバランスは崩れるし
他のラジオのように常連さんができるけど
スバラジはあくまでもコーナー趣旨に則っているかが重要で
みんなが忠実にしぶやんに語りかけているように思える…

…それで思い出したのが
小学校低学年の日記の宿題であった出だしが
「先生、あのね」と書かれている原稿用紙。

現代でもこんなのあるのかしら、
アラフォーな私の頃にはあった定型文なんだけど
「先生、あのね」と最初に書かれていることで
先生だけにそっと伝えるような感覚で書く作文で
先生しか聞いてないから何でも書いていいよ、と
語りかけられているように引率される
周到に考えられた書き出しで深いのよ。

「しぶやん、あのね」的なことになるかしら、
そうすると不特定多数の人にではなく
しぶやんにだけ聞いて欲しいようなことを書き
それにしぶやんが素直な感想乗せてくれる。
またしぶやんのいいところは
誰が書いたかは関係なく、無理に盛り上げようともせず
サラッと流すこともあるのにそれがまた
あえてドラマを生むこともある。

それがこの日にもあった投稿で
昔、学生の時に保健の先生になりたいが
何か思い出はありますか?と言われて
しぶやんはサラッと「無い」と答えたが
夢を叶えて先生になったリスナーが
生徒にその経験を話し、今度は生徒が
先生がサラッと無いと言われたことがある
という話を投稿してくる、夢があるループ。

サラッと流されたといっても多分
しぶやんなりに考えて答えたと思うのよね。
だからのちのちこうして繋がるんだろう。
やっぱり、スバラジは深いわ。

全然関係無いけど、そういえば私、
小学1年生くらいころの「先生、あのね」日記で
近くでお家を建てて「棟上げ式」をしておられた所に行き
屋根の上から投げられるお菓子などを拾って嬉しかったことを
子供ながらにイラスト付きで一生懸命書いたのに
棟上げ(むねあげ)」のことをずっと
もみあげ」と書き続けていたため
先生に「むねあげのことかな?」と赤ペンで書かれて
大ショックを受けた思い出あり。

そのことを数十年経って
こんなところで思い出してしまったがために
しぶやんならもみあげも上手く拾って
取り扱ってくれたろうにと思うと
先生の返しもたかが作文や日記と思わず
1人の人生の思い出に刻まれるのだと自覚して
本気で回答して欲しいと願って止まない。

昔からアホな子供でゴメン。


エイト愛が自分勝手でごめんなさい。
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