∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

そこにまるで手書き譜面があるかのように大切に抱く

先日のジャムは「音楽のプロに教えて」系の総集編で
未公開のものも合わせて既に放送されたものを再編集して
お届けしていたのね。
途中まで見てやっとその構造に気付いたよ。

私にとってはエイトの出番がさほどなくても
大いに楽しめる稀有な番組だなと毎回思うけれど
最後にジャムがない寂しさもあり、内容には満足したものの
まるでシメに雑炊もうどんも選べない鍋のように
「シメのジャム」がないことで物足りなかったのは私のワガママかしら。

総集編(だったと勝手に思っている)であるだけあって
紹介される先生のご職業も様々で
ジャムの音楽的要素の手の広げようが一括して見られた。
ピアノを自宅に持つ私は特にピアノ調律師さんの細かいお仕事と
持ち主からのソムリエがワインの味を表現するかのような
比喩のみの依頼を感じ取って調律するプロ意識には特に恐れ入った。

私のピアノはもう長いことほったらかしで
ある時はうちわの飾り棚となっている時もあるほどなので
決してどこかの国の空のような音を必要とはしていないが
もしできるのなら「村上信五が弾くキーボードのように
爽やかで色気のある音」をお願いしたいとこっそり思う。

もうお一人、楽譜を手書きで清書される「写譜職人」さん。
いまやパソコンやアプリが何でも作ってくれる時代に
作曲者と演奏者を結ぶことを誇りにどちらの気持ちも大切にして
自らの手で譜面を書き上げるあのお仕事。素晴らしいとしか言いようがない。

使っておられるペンから濃淡自在に書き出される音符や記号は
何とも言えない味があり、音符そのものが踊っているようにも見える。
恐らくこの楽譜を見た演奏者はそこから音が聞こえてくるのだろう。

そんなことをぼんやり思っていたらエイトのヒナ段で
「大事にしようと思うもんな、手書きやったら」といいながら
手のひらを反して伸ばした両腕にその譜面をもっているかのような
仕草をしながらふとつぶやいたしぶやんが目に入った。

しぶやんにはその譜面が見えたのだろう。
そしてその手に触れるのも大切に、優しく扱うしぐさが
譜面なのに、しかもその場には無いのに
この人に大切だと思われたらこんな風に愛おしく思われるのだと
見えない何かに嫉妬してしまう程の感情が沸いた。
それは音楽に関することだけではなくて
人でも物でも彼の懐に入ることができたものの特権だろう。

妄想譜面にすら嫉妬してしまう程のファンが
気持ち悪いと思われないかと不安だが
それだけジャムの中でエイトを欲しているのだと理解して頂きたい。

エイトの出番がさほどなくても大いに楽しめると言っておきながら
結局はエイトの言動から目が離せず、それにココロ踊らされる。
ライブやなんやで忙しく収録も難しいかもしれないが
引き続き関ジャムならではの音楽的視点を披露して
締めのジャムでココロ躍らせてほしい


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