∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

フカフカと生きる

今日で東日本大震災から5年。
私も友人と当日のことなどを思い出して
色々と話をしていたのですが
本当に本当に辛い1日でしたね。

どうしても阪神大震災と重ねて
思い出してしまうのですが
あの揺れとその後経験したことは
未だに鮮明に覚えています。

前にブログにも書いたことあるけれど
阪神大震災でも幸い怪我などはなかったのですが
普通の生活ができなくなると
知りたくなかった人の嫌なところを見たり
逆に心身ともに人に助けてもらったり
少しですが、色んな経験もしました。

先週のしんちゃんの関ジャニ通信でも
少し話してくれていましたね。
東日本大震災の日、しんちゃんは
ハワイロケに行く予定で
その迎えが来る前にご飯を食べに出て
マンションに戻ってきた時に地震発生。

当時タワーマンションの上の方に
住んでいたしんちゃん。
階段で部屋まで上がっていって
TVみたら大変なことになってることがわかって…
ハワイロケが中止になって
その日程がお休みになったそう。

ご家族も心配だし自分も一人で怖いし
いろんな思いをしたんだね。
でも普通の日常だったはずが
普通に過ごせなくなった日のことは
こうして刻まれているんだね。

その後お仕事が始まったけど
ヤスと忠義さんも一人でいられなくて
しんちゃんのお家に泊まりに来て
そこからお仕事に通うこともあったそう。

メンバーが寄り添って時間を過ごした事を
聞けるのは嬉しいけれど。辛いね。

ヤスは阪神大震災の時の事を
ありえへんで話してくれたことがあったっけ。
確か、怖かったからお父さんのところに
逃げて助かったって。
布団のところにタンスが倒れたんだよね。
突き上げるような揺れの記憶が
トラウマになってるって。
バスが落ちそうになっていた高速も
すぐ近くだったって…

…ごめんなさい。ここまで書いていて
エイトが受けた辛い思い出を
こうして書いていいものなのかなと
今更思い始めました。
忘れちゃいけないけれど辛い。

東日本大震災の日。
日経エンタの取材を受けていたマルは
テーブルの下に潜ろうと声をかけて
扉を押さえていたスタッフに
「そんなのいいから」と声を上げてくれたと
編集の方が裏話で教えてくれましたよね。

普通じゃないことが起きた時は怖いし
自分がどうすべきか迷う。
でもマルのその話を思い出して
当たり前なことがいざという時できるか
自分や周りに万一のことがあった時に
自分ができる最低限のことができるかどうか
そしてそんな生き方が
普段からできているかどうか…と
あらためて考えさせられました。

こんな風に言いながらも
私自身ちっぽけで何もできないけれど
こうして何かを考えることはできるし
忘れちゃいけないけれど
また日常に戻る強さも必要だし
そのためにやれることがきっと沢山ある。

その中にエイトが歌って踊って
笑って泣いて見せてくれる世界が
ずっとありますように。

fuka-fukaと生きていけますように…


エイト愛が自分勝手でごめんなさい。
拍手コメントもいつも嬉しく拝見してます‼
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