∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

ヤス舞台観劇してきました

ヤスの舞台「忘れてもらえないの歌」を観劇してまいりました。たった一度、されど手にした幸運の一度の観劇。そして1人メンバーが去った後、初めて生で見るエイトの姿…特に身体を勝手に気遣ってしまうヤスの力一杯演じる様子は感慨深く、前に強く進む姿を見せつけられました。

 

さて、ここからネタバレも含みながら書きますので、明日以降に初観劇される方は避難していただきたいのですが、正直言ってお話の内容を、私はきちんと理解できたかどうか自信がありません。伝えたいことを受け止められたか、感じ取れた感情は正しいのか、こうしてそれを書いていいのかすら迷っています。面白いものは面白かったというそのままでいいのに、特に戦争に絡むものは悲しければ悲しいほど、整理がつかないのです…が、それが舞台だ、それが素人が書く感想だ、と勇気を持って書かせていただきます。

 

とはいえ、どう言えばいいのか…戦争によって狂わされた時代に、人が生きていくために必死にもがく様子は簡単には語れませんね。自分ならどうするだろうと何度か想像したことがありますが、いつも足元がグラグラして怖くなるのです。私実は、落ちてくる爆弾を避けながら、埃っぽい街を歩く夢をよく見るんです。その時はいつもあまり何も考えていなくてとにかくひたすら歩いて逃げて、やたら疲れて目が覚める。でも今日、ヤスこと滝野が「心がからっぽより絶望でもある方がいい(セリフうろ覚え)」的なことを言ったのを聞いて、ああ、そうだよな、絶望したくなくて抗うけれど、何も感じないよりはそれは生きてるってことなんだよな、と納得しました。

 

滝野は明るくてお調子者に見えるけれど、生きていくために強くなれる人。だからお金に執着したり機転を利かせて即興でジャズバンドを誕生させたりしたけれど、主役としてヤスが演じるこの男の現実的なズル賢さが、主役が持つべき正義感や誠実さなどの要素を上回っている上に、その部分を福士くんや蒼くん演じる仲間が大いに発揮していたので途中でこれでいいのか気にもなったけれど、本当は仲間と一緒にやる歌が好きになっていたからだったこともわかって、余計にホロリとさせられました。

 

貧困から抜け出すために一生懸命バンドをやって、みんなで歌うことが楽しいから続けたくて、その為にやりたくないこともやるし会社のように給与を渡すことも提案したけれど、主役が持つべき正義感や誠実さを持ち合わせる仲間が付いていけなくなり、とうとう1人になった滝野が、あれほど執着したお金で買ったのが思い出のカフェだったなんて、なんて泣かせるんでしょう。みんながまた集まれる日を夢見ている滝野は愛くるしく、でも本当の気持ちを言葉にしたら消えてしまうんじゃないかと思っているかのようで切ない。そして、本当に再会できたのに、しかも歌を作るという機会まで得られたのに、騙されて、お金も帰ってこず、カフェまでつぶされ、また1人になった最後のシーンは、なぜか詰まってしまい出ない私の涙が余計に心を痛くさせて、辛かった。

 

世に出ることがなかった仲間と作った歌が「忘れられる」という行為すらないなら、せめてひと時でもまたみんなと会えたことが救いになればいいけれど、みんなとの別れすらもう夢か現実かわからない表現の仕方が滝野の心の中まで現しているようで、大丈夫じゃない時ほど笑っていた彼が泣き崩れてしまったシーンは、何故こんなに救いようがないのだと脚本を恨みそうにもなりました。舞台なのに。私ったら。

 

でも。わかってます。人生のハッピーエンドは自分が作るもの。このひと時は戦争時代を生きた滝野という男が、仲間と出会って過ごした青春の断面であり、頭が良くて、前向きで、絶望で一杯でも心が空っぽよりいいと言って笑うこの男が、これからまた一生懸命生きて、自分なりの幸せを感じる瞬間もあると信じてもいいだろって勝手に受取りました。だって、その滝野を演じたヤスは、それはそれは軽やかで、しなやかで、強くて折れない弦のよう。いつでも仲間にまっすぐ走って向かい、上を向いていたから。そしてその姿がヤスそのもので眩しかった。

 

とてもいい舞台を見ることができました。ありがとうね、ヤス。最後、カテコで出てきた時に福士くんと目を合わせてふっと笑ったり、2度目は蒼くんを真ん中に備えてふざけたり、バンドに合わせてパラパラ踊ったりととても楽しそうで、それも嬉しかったな。

 

明日、千秋楽まで無事に皆さんが走り切れますように!!