∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

大好きなブランドの靴が合わなくて靴ズレが多少痛む

土曜日に元気コンのBlu-rayをやっと見た。
自宅への到着に一悶着あり(カード決済問題)
映像化にも一悶着あったので
見ることで一息つけた気がする。

それまでにいろんな意見があったので
しんどくなってはいたものの見られて落ち着いた。
そしてぼんやり思ったのは
「大好きなブランドの靴を買ったが
一部分が合わなくて靴ズレがして痛む」だった。

エイトはアイドルであり手は届かない。
だから彼らを愛でられる作品を
憧れのブランドのオシャレ靴だと例えた。
すると悲しいかな、憧れが先行してしまい
自分の足とピタリと合わなかったと言うイメージが合う。
私にとっての今回の靴ズレは多く映ったファンの姿だった。

だが今回の映像化については
その傷が深くて痛すぎるために
ピタリと合う靴を作らなかったブランド自体を攻撃し
その不満が辛辣すぎるためファンの総意のように見られている。

総意だとは思ってほしくない。
少なくても私は購入した作品として充分に楽しんだ。
あの日の空気、もう一度見たいと思った彼らの頑張り、
もう一度聞きたいと思ったしぶやんの挨拶、そして
彼らが頑張ったことを見て欲しいと思った
たくさんの友達とも共有できたことが嬉しかったから。

もちろん、ファンの顔やコメントが入っていることは
私も大反対だしそこはほぼ早送りをした。
だが作り手の見せたいものと買い手の見たいものが
違うことはこれまでにも何度かあって初めてではない。
おそらく、これまではライブ本編以上に見ものだった
特典映像にも満足させられた分
それとのバランス不足もあったかもしれない。

作り手が自己満足で入れたファンの姿は
確かにこれまでの作品以上に増量されていて
それが不満なのもわかる、だが、だからと言って
それも含めて作品を誇りに思う表現をした
ヤスのレンジャーにまで「私の気持ちはどうなる」的な
不満をぶちまけているのは同じファンとして悲しくなる。

自分の気持ちの整理は自分でつけるものだ。
自分以外の人間に自分の気持ちをわかって欲しいと思うのは
単なるエゴだ。

彼らの良さはファンに歩み寄ってくれることだが
もうここまで大きくなれば難しいはずなのに
それでも貫こうとしてくれるから愛しく思うが
やはりもう難しいのかもしれない。
演者と客の立場は違う。そうでなくてはいけないし
それなのに並んでくれようとすると歪みが出るのかもしれない。

それでも彼らがこれからも
全員でファンのことを大切に思いながら
いろんなことに挑戦して頑張ってくれる姿を見られれば
それでもう充分だ。

しぶやんの挨拶を聞きながら改めて思い返した、
苦労してやっとデビューをして、
それでも地方からなかなか抜け出られず
やっとこれからという時に一人がいなくなり
もがいて這い上がってきて
やりたいことがやれるようになった彼ら。

その7人がたくさん生み出してきた作品の中に
今回のひとつがあって何が悪いのだろう。
酷評することで彼らが傷つくとは思わないのだろうか。

何度も言うが私も陶酔するファンの顔は見たくはない、
そしてそれ以上に複数持つうちわや小高くかぶるニット帽、
かわいいと勘違いして頭に乗せる花冠の方が見たくない。
そうだ、どうしても入れたいならお得意のマルチアングルで
作り手が見たいファンの姿を選択させるのはいかがだろう?

あ、私も充分酷評かな。ごめんなさい。
お金を払って買った人が感想を言うことは自由だけれど
自分もこうして長くブログを書かせてもらっていると
反省すべきことはたくさんあると実感した。
ただ怒りに任せてぶちまけることだけは避けたい。
あまりにも大切な人や作品まで傷つけることになる。

私にとっては、
6人が大切な1人を思って一所懸命に支え合う姿を
ファンとして焼き付けておきたいと思った1日を
映像でもらえて本当に幸せだと思う。
憧れて買った靴はピタリではなかったが充分に価値はあった。

ピタリと合うシンデレラのガラスの靴はそれぞれにある。
そのピタリと合う快感は幸せでだからヲタクがやめられない。

今度ピタリと合うはずのその靴は
7人のかっこいい姿がみられる時に出会えるはずだ。

頼んだよ、エイト。


エイト愛が自分勝手でごめんなさい。
拍手コメントもいつも嬉しく拝見してます‼
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