エイター、宝塚の世界に足を踏み入れる
ここ一年ほどの間に宝塚観劇に2度行った。
元々宝塚大劇場から割と近くに住んでおり
周りに私の舞台好きが知られていることもあり
これまでも何度か誘われたことはあったのだが
この神聖なる領域だけは頑なに拒んできた。
その理由は2つあるのだが、まず1つ目は
「これ以上夢に時間とお金を費やしてはいけない」という自制心。
決してエイトに男性としての夢を見ているから
現在アラフォーで独身なのだと他人のせいにするほど
身の程知らずではないものの
面白くカッコいい複数の男たちに現実逃避していることは事実だ。
その上「宝塚歌劇」という女が夢見る究極の世界にまで
足を踏み入れてしまっては、現実逃避どころか
泥沼に入り込んでもう現実世界に戻れない気がしていたのだ。
まぁ今さら戻ったところでなんてことはないのだけれど。
そしてもう1つの理由が「幼少期の経験」により
宝塚には近づいてはいけないのではないかと言う思い込みだ。
実は我が家は代々宝塚歌劇が大好きで
祖母と母はよく観劇を楽しんでいたのだが
私が生まれて数年が経ったある日のこと、
どこに連れて行っても大して騒ぎせず喜ぶ私をみて
これなら大丈夫だろうと思った二人は
幼い私を連れていそいそと宝塚に出かけた。
席でもご機嫌に座っていたチビッコな私だったが
いざ幕が開いたとたんになんと大泣きしてしまい
何をしても泣き止まない私を小脇に抱えて
「泣きたいのはこっちだ」と思いながら
泣く泣く大劇場を出たそうな。
今から思えばいくら大して騒がないとはいえ
小さい子を連れて行った彼女たちが悪かろう。
人生経験が未だ真っ白な幼子の前で
歴史ある歌劇の幕が生演奏をバックに上がったら
そりゃいい意味で驚くよ。
決してまだ可愛らしかった私が泣いたのが悪いわけではない。
その後、大反省したのか彼女たちは
宝塚観劇からすっかり遠のいてしまったのだが
恨みからかネタなのかこの話をし続けるたので
私のせいにするんじゃないわよとこちらもいい返し続けた。
だが常に宝塚への思いは並々ならぬものがある為か
宝塚に関係する人がTVに出ると
「寿美さんは大スターだった」とか
「越地吹雪を超える歌い手はいない」とか
「松岡修造の先祖は阪急や宝塚を作った人だからお坊ちゃんだ」とか
ご登場のたびに枕詞のように言うので早い段階から耳タコで
おかげで宝塚に対しての食わず嫌いのような無意識の遠巻き感と
身近に感じる不思議な感覚を持ち続けた。
2つ目の理由が長くなりすぎたが
以上のようなことから宝塚観劇から距離を置いていたはずの私が
いよいよこの世界に足を踏み入れたのは他でもない、
私のエイト事にも付き合ってくれる友人が
「宝塚観に行かない?」と誘ってきたからだ。
しかも某メーカーさんの抽選で当たったとかでタダなのだ。
そりゃいくら現実逃避が恐ろしくとも幼いころの経験があろうとも
行くでしょうよ。断る理由がない。
そしていよいよ足を踏み入れた宝塚歌劇だが
その感想を語っているとえらいことになるのでここでは省くが
改めて女性が演じる理想の男性とその相手となる理想の女性が織り成す
圧倒的な夢の世界はカッサカサのアラフォーをも幸福に満たし
水戸黄門を見た後のような爽やかですがすがしい気持ちにさせた。
愛は無償で裏切らないが美しさは絶対的に必要なのだということも
痛いほど伝えてきた。
だが不思議とヒロインに自分を置き換えて入り込んでしまう癖が
あまりに甘美で華やかだったためか、置き換えを控えたあたり
私もそこまで厚かましくはなかったようだ。
ただただ男役の方が優雅に演じる様にうっとりするも
客席側の花道を美しく歩くお姿を望遠鏡で覗きながらふと
エイトを覗き見ているかのような気持ちになった。
望遠鏡を覗けばエイトを思い出すのもおかしいが
こんなこともあろうかと、ライブ用では無い方の
比較的倍数が落ち着いた物を持ち込んだはずなのに
手足の長さやパーツの美しさを確認しようと
つい前のめりになってしまった。
舞台の見せ方は全く違うのに
何かが共通するようでもぞもぞした。
なんだろう、この感じ、一方的に何かを見せられているだけでは無い
普通の舞台とは違った客席への意識、
そして見ている側の陶酔感…
そして気がついた、
歌と踊り、そして演技で構成される表現は
単なる歌手でも俳優でもダンサーでもなく
全てが兼ね備わって宝塚歌劇となるのだが
そのエンターテイメント性がジャニーズと重なり
無理矢理感あるとはいえ私の中ではピタッとはまった。
いや、私はエイトに王子感は求めてはおらず
むしろジャニーズなのにと言われる部分に惹かれるのだが
自分のすべての力を振り絞って表現する
その圧倒的存在感が私のハートを鷲掴んで離さないようだ。
劇場内にあるいわゆるグッズ売り場には
各スターがプロデュースした無数の商品が広がっており
そこで写真やクリアファイルなどを真剣に見定めるファンの方々には
見覚えがあるし身に覚えがあり親しみを感じ
思わずうちわを探したが無くてホッとした。
かたや女性が演じる理想の人間の麗しさ
かたや生身の男性の不完全な人間らしさだが
両極端に惹かれる私の嗜好が
エイト内でも1人に絞れず塊が好きな所以だろう。
ここにまた一つ、私の乾いた心を潤してくれる
夢見る世界が広がったことがありがたいが
間違いなく夢の世界での滞空時間が長くなったことが
我ながら恐ろしい。
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元々宝塚大劇場から割と近くに住んでおり
周りに私の舞台好きが知られていることもあり
これまでも何度か誘われたことはあったのだが
この神聖なる領域だけは頑なに拒んできた。
その理由は2つあるのだが、まず1つ目は
「これ以上夢に時間とお金を費やしてはいけない」という自制心。
決してエイトに男性としての夢を見ているから
現在アラフォーで独身なのだと他人のせいにするほど
身の程知らずではないものの
面白くカッコいい複数の男たちに現実逃避していることは事実だ。
その上「宝塚歌劇」という女が夢見る究極の世界にまで
足を踏み入れてしまっては、現実逃避どころか
泥沼に入り込んでもう現実世界に戻れない気がしていたのだ。
まぁ今さら戻ったところでなんてことはないのだけれど。
そしてもう1つの理由が「幼少期の経験」により
宝塚には近づいてはいけないのではないかと言う思い込みだ。
実は我が家は代々宝塚歌劇が大好きで
祖母と母はよく観劇を楽しんでいたのだが
私が生まれて数年が経ったある日のこと、
どこに連れて行っても大して騒ぎせず喜ぶ私をみて
これなら大丈夫だろうと思った二人は
幼い私を連れていそいそと宝塚に出かけた。
席でもご機嫌に座っていたチビッコな私だったが
いざ幕が開いたとたんになんと大泣きしてしまい
何をしても泣き止まない私を小脇に抱えて
「泣きたいのはこっちだ」と思いながら
泣く泣く大劇場を出たそうな。
今から思えばいくら大して騒がないとはいえ
小さい子を連れて行った彼女たちが悪かろう。
人生経験が未だ真っ白な幼子の前で
歴史ある歌劇の幕が生演奏をバックに上がったら
そりゃいい意味で驚くよ。
決してまだ可愛らしかった私が泣いたのが悪いわけではない。
その後、大反省したのか彼女たちは
宝塚観劇からすっかり遠のいてしまったのだが
恨みからかネタなのかこの話をし続けるたので
私のせいにするんじゃないわよとこちらもいい返し続けた。
だが常に宝塚への思いは並々ならぬものがある為か
宝塚に関係する人がTVに出ると
「寿美さんは大スターだった」とか
「越地吹雪を超える歌い手はいない」とか
「松岡修造の先祖は阪急や宝塚を作った人だからお坊ちゃんだ」とか
ご登場のたびに枕詞のように言うので早い段階から耳タコで
おかげで宝塚に対しての食わず嫌いのような無意識の遠巻き感と
身近に感じる不思議な感覚を持ち続けた。
2つ目の理由が長くなりすぎたが
以上のようなことから宝塚観劇から距離を置いていたはずの私が
いよいよこの世界に足を踏み入れたのは他でもない、
私のエイト事にも付き合ってくれる友人が
「宝塚観に行かない?」と誘ってきたからだ。
しかも某メーカーさんの抽選で当たったとかでタダなのだ。
そりゃいくら現実逃避が恐ろしくとも幼いころの経験があろうとも
行くでしょうよ。断る理由がない。
そしていよいよ足を踏み入れた宝塚歌劇だが
その感想を語っているとえらいことになるのでここでは省くが
改めて女性が演じる理想の男性とその相手となる理想の女性が織り成す
圧倒的な夢の世界はカッサカサのアラフォーをも幸福に満たし
水戸黄門を見た後のような爽やかですがすがしい気持ちにさせた。
愛は無償で裏切らないが美しさは絶対的に必要なのだということも
痛いほど伝えてきた。
だが不思議とヒロインに自分を置き換えて入り込んでしまう癖が
あまりに甘美で華やかだったためか、置き換えを控えたあたり
私もそこまで厚かましくはなかったようだ。
ただただ男役の方が優雅に演じる様にうっとりするも
客席側の花道を美しく歩くお姿を望遠鏡で覗きながらふと
エイトを覗き見ているかのような気持ちになった。
望遠鏡を覗けばエイトを思い出すのもおかしいが
こんなこともあろうかと、ライブ用では無い方の
比較的倍数が落ち着いた物を持ち込んだはずなのに
手足の長さやパーツの美しさを確認しようと
つい前のめりになってしまった。
舞台の見せ方は全く違うのに
何かが共通するようでもぞもぞした。
なんだろう、この感じ、一方的に何かを見せられているだけでは無い
普通の舞台とは違った客席への意識、
そして見ている側の陶酔感…
そして気がついた、
歌と踊り、そして演技で構成される表現は
単なる歌手でも俳優でもダンサーでもなく
全てが兼ね備わって宝塚歌劇となるのだが
そのエンターテイメント性がジャニーズと重なり
無理矢理感あるとはいえ私の中ではピタッとはまった。
いや、私はエイトに王子感は求めてはおらず
むしろジャニーズなのにと言われる部分に惹かれるのだが
自分のすべての力を振り絞って表現する
その圧倒的存在感が私のハートを鷲掴んで離さないようだ。
劇場内にあるいわゆるグッズ売り場には
各スターがプロデュースした無数の商品が広がっており
そこで写真やクリアファイルなどを真剣に見定めるファンの方々には
見覚えがあるし身に覚えがあり親しみを感じ
思わずうちわを探したが無くてホッとした。
かたや女性が演じる理想の人間の麗しさ
かたや生身の男性の不完全な人間らしさだが
両極端に惹かれる私の嗜好が
エイト内でも1人に絞れず塊が好きな所以だろう。
ここにまた一つ、私の乾いた心を潤してくれる
夢見る世界が広がったことがありがたいが
間違いなく夢の世界での滞空時間が長くなったことが
我ながら恐ろしい。
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