∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

ゴッホの儚くも熱い人生を見る

ゴッホの絵はなんだか好きなものが多くて
星月夜や夜のカフェテラスなど(知ったか)
色合いと星や光の表現が印象的で
ああー好きだなーと単純に思っていました。

若くして亡くなったことや生活苦だったことは
なんとなく知っていたものの
これほどに自分の表現と評価が食い違い
書いても書いても売れず、その苦しみから周りを傷つけ
自らをも傷つけたことを知ってとても心が痛いです。

苦しいから芸術が生まれるという理屈もあるかもしれない。
でもこんなに苦しい思いをしないと芸術は生まれないのかと
卵鶏問題が不意に頭を巡りました。←わからないからごまかしてみた

そしてこの苦しみをヤスが演じることにより
ただただ描くことが好きで、ただただ弟と親友が好きで
好きなものに囲まれていたいという
ただただシンプルな思いが純粋に伝わりました。

だって、それが普通だものね。
どんなに天才で新しいものを産み出す存在でも
ただの人間だから寂しさももどかしさもある。
ただ、絵を描いて、褒めて欲しかったのかも、
そんな気すらして、切ないです。

ゴッホの死には謎があり色んな説があるとのこと。
後の世にこれほどに思われるほど
作品が認められている証明なのでしょう。
死は自らなのか事故なのか真実はわからないけれど
人生を生き抜き、大好きな人に見守られながら
目を閉じられていたらいいのに…と思います。

そう思わせるほど、ヤスのゴッホは魅力的でした。
ヤスの小さくて細い体型が、繊細さも見せ
豊かな表情が、純粋さと愛らしさに溢れ
自分の耳を切ってしまうという行為ですら
辛さに耐えるにはそうするしかなかったのかと
2階3列目にいた私にすら心が伝わりました。

ゴッホのひまわりを見た警察官が
「人のように見えた」と言い
ゴーギャンがそう見せる絵が素晴らしいのだと
狂ったように笑いながら言ったその言葉が胸にグサリ。
描いたもの以上のものが伝わるのが芸術なんですね。

芸術は素晴らしい。
でも切ない。
だから美しい…

一枚の絵の奥にある重い人生を知り
表現を受け止めることも大事だけれど
ヤスのゴッホが欲したように
想像ではなく、見たものを上手に書けたことを
褒めてあげることも楽しむ意味もある。

何気なく好きだなぁと思っていたゴッホの絵を
これからはもう少し違う色で見られるのも
ヤスが力強く演じてくれたおかげ。
カテコでも一切アイドル主役の舞台感はなく
シンプルに客席が演者を讃える時間でした。

2階3列目からでも、熱い拍手、伝わったかな。

ちなみに、ゴッホのひまわりについては
名探偵コナンの映画「業火の向日葵」で知るのも
おすすめですよ〜