∞の庵

5人しかいないけれど、5人がいる

「LIFE IS」を開いて思うこと

忠義さんの復帰を祈りつつ
その間に購入したヤスの写真集も
何故か簡単には開封できず
机の上で表紙だけを眺めつつ
過ごす日々が続いていた。

その合間にも関ジャニ∞は
3人で歌い踊り
メンバーのMC番組をフォローし
強くて明るい姿を見せていた。

もちろん毎日泣いていたわけでもないし
嘆いていたわけでもない。
ちゃんと3人のエイトを楽しみ
ヨコヒナのマルフォローに浮かれた。

だけど、ヤスの病気を知り
忠義さんの体調不良、そして感染を受け
ここのところ
やたらと命の重さを感じさせられたファンは
ただただ彼らが健やかでいられるようにと
深々と思う日々だった。

忠義さんの復帰の嬉しいニュースを聞き
やっとヤスの写真集「LIFE  IS」を開いた。
ファンなら届いた途端に
開かずにはいられないものだろうけれど
私にはやっと開けられる気持ちになれた感覚だった。

やっと次の一歩が出せると言うか
いろんなことを受け入れられると言うか
そんな気持ちになって、その儀式のように
気持ちか昂ぶるわけでもなく
さらりと開けられられたのだ。

まず手が止まったのはヤスの姿ではなく
最初のページの
十字架のような木々の跡だった。
吹雪く音さえ聞こえるようで
自然の中で祈ることしかできないのが
厳かで、重い。

覚悟していた通り
そこには可愛らしく愛らしいヤスは
どこにもいない。
空の向こうを見上げる切ない表情、
その眉間には苦しげな皺が寄り、
常に涙でうるう瞳は切ない。

動物の骨を担ぐ様子や
地面に寝そべる姿は
嫌でも死を思わせる。
その罠にはまりたくないと
抗う自分も何処かにいて
何故これを見せられるのかと
改めて考えさせられもした。

私にとってヤスはいつでも
可愛くて優しくて
なのに男らしくて朗らかな
天使のようなアイドルだった。

だけど、病気を知り、
メンバーの脱退を静かに受け入れ
また強く立ち上がったヤスは
乗り越えた死から得た次の世界にいた。

うまく言えないけれど、寂しい気はする。
そばにいるような感覚にさせてくれる
気安く、朗らかだったヤスが
こちらの小さな現実など目に入らないほど
超越した聖人になったかのような気になる。

ヤスはそんなつもりはなく
そんなことを伝えたいわけでもないのに
勝手に寂しく感じているのは
ヤスを自分の都合で印象付けていた
こちら側のわがままなのだろう。

大好きだった海を泳ぐ
明るくクシャクシャした笑顔の方が
見たかったファンも多くいる。
だけど、もう海を泳ぐことはできないのは
私たちファンではなくヤスの真実だ。

ヤスが最後に言った
「うっすらと感じてはいたけれど
病気を経て確信に変わった僕の本音」を
ヤスが伝えたかったように、ただ深々と
受け入れられればいいんだろうとも思う。

病気を憂い
できなくなったことを嘆くのではなく
全てを乗り越える力を持っていたヤスが
その能力を完全に自分のものにした。
だからこそ、脱退したメンバーがいても
真ん中で踏ん張って歌い
5人の関ジャニ∞の方が愛せると
思わせてくれる力強さがある。

ヤスが生きていてくれたからこそ
5人の関ジャニ∞が成り立つのだと思う。
ヤスが生きていてくれたからこそ
それでも去っていったメンバーには
未練も何もない。

ヤスは「サワコの朝」でお母様の日記を見て
写真集に載せたかったと言ったけれど
それは、子を思うお母様の想いとして
ヤスだけが大切にしくれればいい。
全てを見せたいと思ってくれるけれど
やっぱりヤスはアイドルだから
友達ではないから
ヤスの私生活は、ヤスが過ごしやすいように
大切にしてほしいと思っている。

こちらは、こんなにも人間の弱さを思って
寄り添おうとしてくれる人が
自分が大好きなアイドルだと思えることだけで
幸せ。
彼がいるからこそ
これからもまだ関ジャニ∞が続くと思えると
幸せ。

私にとって、ヤスの写真集「LIFE  IS」は
大好きなアイドルがしなやかに生きる証で
それが幸せ。

生きていてくれてありがとう。
ただそれだけだ。